地球のみんな、オラの歯茎に元気をわけてくれ

前へと突き出た二本の八重歯を持つ、文筆家のワクサカソウヘイさん。年齢を重ねるにつれ、チャームポイントだと思っていた八重歯を愛せなくなっていました。

このコラムは、そんなワクサカさんがまた自分の歯を愛せるようになるために旅をする、冒険の記録です。

もっと、もっと綺麗になりたい

「とにかく綺麗な歯が欲しい」

そんな願いを叶えるべく始まった、歯の冒険。すなわち、歯ドベンチャー。
まずはホワイトニングに挑戦し、いきなり真っ白な歯を手に入れた私はその後、意気揚々とした毎日を過ごしていた。

鏡の前に立つ。そこに映っているのは清潔感溢れる口元である。ずっと抱えていたコンプレックスであるところの歯並びの悪さ、それが見事に軽減されている。歯全体が白く輝いていると、凸凹の印象がフラットなものになるのだ。ああ、実に気分がいい。
だが、人間とはなんとも欲深い生き物である。白雪姫に登場する魔女のように毎日鏡を覗き込んでいるうち、「もっと、もっと綺麗になりたい……」という思いを強く揺らす自分が現れてしまった。
歯はすでに白い。では、次に開拓すべき口周りのフィールドは、果たしてどこなのか。

それは歯茎である。

歯をホワイトニングによって白くすると、歯茎の存在が相対的に強調される。それをまじまじと眺めてみれば、なんだか血行の悪さを感じる色合いだ。私の歯茎は、元気がない。

「明日は午後からの出勤にしようかな……」
「最近の休日は布団の中でリール動画ばっかり観てるよ……」
「ジェットコースターはみんなで楽しんできて、自分はベンチで待ってるから……」
「箱根の温泉旅館とかで何も考えずにボーっとして過ごしたい……」

いまにもそんなことを言い出しそうな、元気のなさである。
この歯茎に活力を与えてやりたい。この歯茎を健康的にしてやりたい。さて、どうしたものか。

聞けば、この世には「デンタルエステ」なるものが存在しているらしい。なんでもそれは歯科衛生士さんによる施術で、これを受ければ歯茎の血行を回復させることも可能なのだという。

歯科医院で受けられるエステとはいったい、どのようなものなのか。イメージしようにも、その輪郭が上手く浮かばない。なんだか未知性が漂っている。歯ドベンチャーの予感だ。これを試さない手はない。

初めて味わう感触

「では、まずは歯茎をマッサージしていきますね」

そこは東池袋にある歯科医院。チェアユニットに仰向けになるなり、デンタルエステはすぐさまに開始となった。
口を開けながら、私は少し、ドキドキしていた。他人に歯茎を指圧されたことなんて、これまでに一度もない。というか、自分でも歯茎を触ることなんて普段ほとんどしない。歯茎マッサージ、それはどのような感触が走るものなのか。えずいたりしちゃったら、どうしよう。

ぐにっ、ぐにぐに、ぐにっ。

あ、なんだこれ。初めて味わう感触だ。奇妙だが、不快ではない……。いや、むしろ気持ちいい……。あれ、あれれ……。あ………。

驚いたことに、歯茎を触られて間もなく、私は数十秒ほど「寝落ち」をしていた。断っておくが、寝不足であったなどということはけっしてない。ばっちり八時間も睡眠をとったうえで、このデンタルエステに臨んでいるのだ。

まどろみからハッと目を覚まして、その予想外のスリープのことを歯科衛生士さんに伝えると、「歯茎をマッサージされて寝ちゃう人はけっこういるんですよね」とのことだった。睡眠を稼働させるスイッチが奥歯の上辺りに隠されていたりするのだろうか。

「歯茎の中にも色んなツボがあるんです。それらを刺激してやることで、リラックスやアンチエイジングの効果に繋がっていくわけですね」

なるほど。そう言われてみると、なんだか口の中にすっきりとした感覚が現れている。歯茎を刺激されると、こんなにもほどけた心地を味わえるのか。デンタルエステ、やはり未知性が高い。

ヨダレが溢れ出す

続いて展開されたのは頬粘膜マッサージである。いや、頬粘膜なんて言葉、初めて聞いた。こんどはどこを刺激されるのか、またしても緊張感を伴わせながら口を開ける。

ぐにっ、ぐにぐに、ぐにっ。

指圧されたのは、頬の内側。口内炎でもできないかぎり、日常の中で意識しない部分である。（ああっ、こんなノーマークなところをいきなり触られたら、私はどうなっちゃうの……）などと心をざわめかせる。

「頬粘膜を刺激すると、唾液腺が反応するんですよ」

え、うそ。ってことは、まさか。
あ、やだ！口の中に突然、ヨダレが溢れ出した！

「ヨダレの出やすい口腔内環境を作り出すことは健康を考えるうえでも重要です。汚れを洗い流す自浄作用があるので」

ユニットチェアに座ってものの数十分で、口の中のスイッチをあっちこっち押されてしまった私。寝顔も見せた。ヨダレも垂らした。もう好きにして、聞かれたら貯金残高でもなんでも教えます、という明け透けな気分となる。

「では最後はフェイシャルエステとリップマッサージです」

そう、このデンタルエステでは、口腔内のみならず、頬や唇にも施術をしてもらえるのである。
口角を上げるようなマッサージがあったのち、唇に温かな保湿クリームが塗られる。ああ、うっとりと気持ちがいい。またしても寝てしまいそうになる。

「はい、これで終了です。鏡をご覧になってください」

おおお。

そこには、まず「ぷるん」とした唇が。そして口を開けてみると、血色のよい歯茎がある。
元気になってる！　私の口周り、元気になってる！
顔全体の印象もはっきり艶やかなものに変わっている。口元がリフレッシュされると、こんなにも表情にみずみずしさが宿るのか。

「箱根の温泉旅館で一泊したら、なんだかやる気が出てきたよ」

鏡の中の歯茎は、そんな感じのことを言いたげな、健康的なトーンを醸していた。

そう、箱根。

デンタルエステとは、未知のリラックスを召喚させる、歯茎の箱根であったのだ。
私はきっと、鏡を覗き込んではうっとりとする毎日に、さらに埋没していくことだろう。歯ドベンチャーは、まだまだ続く。