前歯が手の代わり? デバの歯と脳の秘密
歯学部生なら知っておきたい! 驚異の生きものハダカデバネズミ #4歯学部生ならきっと目が行く長~い前歯、毛のない体、シワシワの皮膚…まさに“キモカワ”な生き物、ハダカデバネズミ。
でも、すごいのはこのビジュアルだけではありません。「階級社会」「音声コミュニケーション」「不老長寿」「iPS細胞」と、気になるキーワードをたくさん持っているんです。
本連載では、10年にわたってハダカデバネズミ研究に従事していた岡ノ谷一夫教授に、この生きものの秘密を教えていただきます。
帝京大学 教授
岡ノ谷一夫
慶応義塾大学文学部卒業。1994年より千葉大学文学部行動科学科助教授として、動物心理学の研究を推進する。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センターチームリーダーとして世界で初めての生物言語学研究室を設立。2010年より東京大学教授として生物心理学研究室を設立運営し、2022年に帝京大学 先端総合研究機構・複雑系認知部門教授に就任。著書に「さえずり言語起源論」、「言葉はなぜ生まれたのか」、「つながりの進化生物学」など。趣味はルネサンス・バロック期の楽器であるリュートの演奏。
慶応義塾大学文学部卒業。1994年より千葉大学文学部行動科学科助教授として、動物心理学の研究を推進する。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センターチームリーダーとして世界で初めての生物言語学研究室を設立。2010年より東京大学教授として生物心理学研究室を設立運営し、2022年に帝京大学 先端総合研究機構・複雑系認知部門教授に就任。著書に「さえずり言語起源論」、「言葉はなぜ生まれたのか」、「つながりの進化生物学」など。趣味はルネサンス・バロック期の楽器であるリュートの演奏。
歯科関係者のみなさま、お待たせしました。いよいよデバの歯と脳について語ります。
デバはデバという愛称で呼ばれるくらい、その門歯の発達が著しい。デバは齧歯目なので、上顎2本、下顎2本の門歯は生きている限り伸び続ける。1ヶ月で約5ミリ伸びるとされており、それは歯茎から出ている部分と同じ長さなので、ほとんど毎月生え替わっているようなものなのだ。
さらに奇怪なことに、上下の門歯は唇を突き破って露出しているので、口を閉じてトンネルを掘っていても土が入らないようになっているのだ。トンネル環境への適応のため、歯の生え方さえも変えてしまうデバ、恐るべし(図1, C&D, 文献[1]より)。おそ松くんのイヤミでさえ、前歯が唇をやぶって出てくることはないぞ。
そればかりではない。下の門歯はまるでお箸のように左右に開く。これはトンネルを掘る際にノミのように動き、土を削りとるのだ。齧歯類は多かれ少なかれ、下の門歯を動かすことができるが、デバはこれが半端ない(図1, E&F&G, 文献[1]より)。
下顎の門歯で砂粒を掴むこともできるし、腕相撲のように門歯相撲もすることだってある。デバの体全体の筋肉のうち、4分の1は顎を動かすために使われる。人間の咬筋の重量は左右合わせて約300gであり、全筋肉量の2%程度である。デバは人間の20倍以上の立派な顎筋を持っていると言える。
そうなると、脳のほうも気になってくる。ヒトの大脳を前後に分けている中心溝の後側には、体性感覚野がある。体性感覚野は体中の感覚情報が入ってくる部位だ。この体性感覚野の面積は、体表面積とは比例しない。ヒトでは、唇や指の感覚が重要なので、それに応じて受け持つ体性感覚野の面積が大きくなっている(図2)。
これを3次元に表したものを脳の中のホモンクルス(小人)という(図3)。見て通り、かなりグロテスクな小人である。
さて、ではデバの体性感覚野における感覚情報の面積を調べるとどうなるか。これをやった人たちが、文献[1]のカタニアたちだ。やはり予想どおり、デバの体性感覚野では、門歯を担当する面積がとてつもなく大きく、全体の30%を占めていた(図4、文献[1]より)。
これは、人間における手を担当する面積に匹敵する。彼らの門歯は人間の手みたいなものなのだ。そしてさらに、デバの手足もたいへんに大きい面積を占めている。これはたぶん、デバがトンネルを掘りながら土を手足で後ろに掻き出すことと関係しているのだろう。つまり、デバの体性感覚野はほとんどがトンネルを掘ることに特化しているのである。なんてこった。
これらの体性感覚野からはさらに小脳に入力がある。小脳の非常に多くの領域に、デバの門歯、特に下顎の門歯の感覚に対応する神経細胞が見つかっている(文献[2])。下顎の門歯は箸のように動くだけではなく、それを使って環境の認知もしているようだ。これもやはり人間の指のような神経対応があることがわかる。
デバと言えば、地中で暮らしているのであまり視力はよくなさそうである。実際、デバより少し小柄のマウスでも眼球の直径が5ミリほどあるのに対し、デバの眼球は直径1.3ミリしかない。デバの視覚系はおそらく明暗程度しか感じ取っていないとされている。
だからデバの大脳皮質の中で視覚野の占める割合はマウスのそれよりずっと小さい。大脳皮質だけではなく、視覚入力があるすべての部位で視覚担当部位は縮んでいるのだ。デバの脳が、視覚入力がないことにより視覚野を縮めたのか、もしくは最初から(遺伝的に)小さいのか、私たちは知りたかった。
そのため、マウスの胎児とデバの胎児で、視覚野で発現する細胞接着因子の量を調べたところ、やはりデバではマウスの数分の1しかないことがわかった(文献[3])。デバは脳の資源をあまり視覚に割くことはせず、もっぱら門歯に割いているのである。
デバの門歯は伸び続けるから良いが、これが伸びないで虫歯になったらさぞかし痛かろうと思うと、またもやデバでなくて良かったと思う私であった。
参考文献
[1] Catania, K. C., & Remple, M. S. (2002). Somatosensory cortex dominated by the representation of teeth in the naked mole-rat brain. Proceedings of the National Academy of Sciences, 99(8), 5692-5697.
[2] Sarko, D. K., Leitch, D. B., & Catania, K. C. (2013). Cutaneous and periodontal inputs to the cerebellum of the naked mole-rat (Heterocephalus glaber). Frontiers in Neuroanatomy, 7, 39.
[3] Matsunaga, E., Nambu, S., Iriki, A., & Okanoya, K. (2011). Expression pattern of cadherins in the naked mole rat (Heterocephalus glaber) suggests innate cortical diversification of the cerebrum. Journal of Comparative Neurology, 519(9), 1736-1747.
次回は7月下旬に公開! デバが長生きする秘訣とは…?
イラスト/ハルペイ